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平和教育教材のドキュメンタリー映像作りとメディアリテラシーについて。

 
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上の名前がコージ、下の名前がコーダイです。 兵庫県生まれ、福岡市在住。 最近、長男が生まれてパパになりました。 暇を見つけては講演、研修の講師をしています。 人の意識を変え、国際協力の必要のない持続可能な社会にすることが目標です。
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トラック諸島で2年間ボランティア活動をしていたコージコーダイ(@kodai_chi_koji)です。

トラック諸島ってご存知ですか?

戦艦大和とか、武蔵とかが停泊してたこともある、旧日本海軍の拠点です。
最前線基地とも呼べる場所で、海底には多くの沈船が今も眠っています

 


かつての戦地で様々な戦争の爪痕を目にし、多くの話を耳にしてきました
それらの経験を生かして学校や公民館などで、何度となく平和教育をさせてもらっています

これまでに実施した平和教育の例
>>>【カンボジア大量虐殺】ポルポトさんが教えてくれる政治との関わり方。

 

そこで、この記事ではこれまで平和教育に携わる中で見えてきた、

  • 平和/平和教育とは何か
  • 日本の平和教育の抱える課題点についての考察
  • 自分自身が教材作りをする中で見えてきたメディアの問題

について書いていきたいと思います。

 

夏休みに平和教育に関わる人も多いと思いますので、是非ともご一読ください。

 

先に結論から書いておきます。

  • 日本の平和教育のほとんどは、平和を作る市民の育成に貢献できていない
  • 完全に公平な視点で作成されたメディアはこの世に存在しない
  • 考え続けることが平和維持のためには大切

 

それでは、一つずつ詳しく読んでいきましょう。

 

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そもそも平和って何?

誰でも知っている「平和」ですが、
実は時代によって、あるいは文化や宗教によって捉え方が違います

 

平和の対極として「戦争」をイメージする人が多いと思いますが、この直接的な暴力がない状況を平和とするのは実は「消極的平和」の考え方です。

ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」という概念を創出した1970年代半ば以降、この構造的暴力を含む、あらゆる形態の暴力がない状態を平和とする「積極的平和」の考え方が強い影響力を持つようになりました

構造的暴力について関心のある方はコチラをどうぞ
>>>震災時に感じた、日本における在住・訪日外国人に対する構造的暴力について、例を挙げて具体的に解決策まで考えました

 

日本における平和教育って?

 

日本における平和教育の全体像を知りたければ、西尾理氏の「学校における平和教育の思想と実践」を一度読んでください。
大ボリュームの本ですが、この一冊で戦後日本の平和教育の概観が整理できるだけでなく、そもそも平和の概念をどう捉えたら良いのか、平和教育の教材開発はどのように行えばいいのかが一気に解決します。

 

 

とんでもない情報量の本なので、図書館で借りてきて読もうとしたら読み終わる前に返却期日がきてしまい、結局購入しました。
手元に置いておいて損はない一冊なので、平和教育に携わる人であれば是非どうぞ

ちょっといい値段しちゃうので、直接の知人で読みたい方は声をかけていただければお貸ししますよ。

 

とはいえ、この記事だけでもある程度は解決できるように解説します。

 

日本における平和教育の歴史と課題について大きな視点で見ていきましょう。

 

おそらく、学校関係者であれば「平和教育」と耳にして、真っ先にイメージするのは「日教組」でしょう。
学校だけではなく、あらゆる労働組合はその根底には「平和のために何ができるか」というイデオロギーを持っています

このことについて書き出すと、それだけで一つの記事になってしまうので、簡単にまとめちゃいます。

労働組合は労働者の権利を国や企業から侵害されないように守ろうとする運動をしています。
これは憲法に謳われている「人権」を守らせようという運動と言い換えることができます。
その人権の中には「平和に生きる」権利もあります
また、労働組合などの活動が制限される社会は戦争に向かいやすい社会です。
だから、労働組合と平和運動は切っても切れない関係にあります。

そして、こういう状況の中で実践が重ねられてきたので必然的に日本の平和教育は長らく「政府の圧力に対する抵抗」という文脈の中にありました。
また、「反戦教育」の色合いが強く、「論理性」が弱く、「ネガティブな感情」を育てているだけだ、という批判があります。

この批判については、私も賛同します。

というのも、私自身が子どもの頃に受けていた平和教育がまさに批判されているような内容のものだったからです。

 

 

登校日(だいたい8月6日)に学校に行き、戦争を扱ったアニメーションや、ドキュメンタリー、あるいは戦争体験者を呼んできて話を聞く。

そして、その感想を書く。

以上

 

 

皆さんの受けた平和教育もだいたいこんなやつじゃなかったですか?

感想を書けって言われても、ほぼ全員が次の3パターンのどれかに落ち着きます。

  • 「戦争はよくない」
  • 「戦争は怖い」
  • 「戦争は絶対に繰り返してはいけない」

 

何があかんの? って突っ込まれそうですが、
ネガティブな感情を育てているだけで、これだけでは何をすればいいのかわからないんです。

どうして戦争が起きるのか、あるいは戦争が起きそうな時に市民はどういった行動をすることで平和を維持できるのかなどについて私たちのほとんどが教えられていません。

 

平和教育で教えるべきなのは「仕組み」や、「具体的な対抗手段(つまり行動の仕方)」です。

 

ドキュメンタリー教材を作ろうとしたら見えてきたこと

 

よし、教材を作ろう!
そう思ったんですよ。

戦争が何かをしっかりと考えることができて、その上で具体的な行動について考えられる教材を作ろう。

 

どうすれば戦争を捉えることができるか?
そう考えたときに、海外ボランティアとしてかつて生活していたミクロネシア連邦のチューク州(トラック諸島)にいるオシエンさんをふと思い出したんです。

 

左がオシエンさん、右が筆者

 

オシエンさんは戦時中に多くの日本人と苦楽を共にし、今でも流暢に日本語を話します

インタビューをして記録に残そう。
これは自分にしかできない使命じゃないか! って思ったんです。

思いついたら行動する派なので、すぐに飛行機のチケットを買って、本当に行ってきました。

何よりも生きてるうちに会わないと!! っていう気持ちが私を突き動かしたんです。

 

今考えると、もう少し理論などについて整理してから撮影をしに行くべきでしたが、当時の無鉄砲さが逆に私にとって大きな学びを与えてくれました。

 

先に実際に撮影してきた動画を置いておきます。
1分半もない短い動画ですので、ぜひ見てから続きを読んでください

 

オシエンさんは私に何を教えてくれたのか?

 

どうですか?

動画を見てどんなことを感じました

あるいは何かを考えましたか

 

フツーに、
「オシエンさんが伝えたかったのはきっと〜」
みたいに考え始めた方、残念です。

実は撮影に2時間以上かかっています。
持っていった予備のバッテリーもほとんど無くなりかけて、カメラは爆発しそうなぐらい熱くなってしまいました。

 

なぜか分かりますか?

 

「今の若い日本人が戦争について知るために、いろんな話を聞かせてもらってもいいですか? 撮影もできたらさせてください」
私が話を持ちかけると、二つ返事で承諾してくれました。

 

そして、オシエンさんはいろんな話を私にしてくれました。

1時間が過ぎ、さらに30分が過ぎた頃でしょうか、私は自分がイライラし始めていることに気づいたんです。

 

どうやら待ってたんですよね。オシエンさんが言ってくれるのを。

「戦争は良くない」だとか、「二度と繰り返してはならない」みたいな言葉を。

 

でも言わない。
待てども待てども全然言わない。

 

そして、上のビデオの冒頭の質問ですよ。

 

「戦争は良くないですか?」

しびれを切らした私は直接的な質問を投げかけているんです。

 

しかし、返答は「ハハハ、どうかな?」ですよ。

 

一連のやり取りで気付かされた2つの大切なこと

 

このやり取りで、2つのことに気づきました。

 

一つ目は、情報がいかに作り手の意図した形に作られてしまうかです。

 

ビデオなんて簡単に編集できます。
そして、質問の方法を工夫すれば、いくらでも自分が撮りたい絵を撮ることが出来ます。

 

仕事柄「メディアリテラシーを持ちましょう」「情報には作り手の意図があります」「何を伝えたくてその映像や写真を用意しているのか考えましょう」みたいなことを言っている立場です。

でもね、いざ自分が作る側になった時に、気づいたら自分にも「撮りたい絵」があったようなんです。

 

しかも、もっと驚いたのは撮りたい絵が「戦争は良くない」といういかにもステレオタイプな「自分が否定していた価値観」だった。
まさにミイラ取りがミイラになった瞬間ですよ。

 

本当に、そのことに後から気づいて寒気が走りました。

はっきり言います、公平な情報なんてこの世に存在しないです。
必ず、どんなに意識をしても人は自分の撮りたい絵を撮ります

そして、自分が撮りたい絵が何かというのは思っている以上に本人が自覚するのは難しいようです。

 

二つ目は、戦争経験がない人間の方が安直に答えを出してしまっている危うさです。

 

オシエンさんは戦争が終わってから70年以上経った今でも「どうかな?」と返答しているんですよ。

まだ答えを導いていないんです。
つまり、考え続けているんです。

 

しかし、私たちはどうでしょう?

経験もしていないはずなのに、戦争は? って聞かれたら「良くない」「怖い」「二度と繰り返してはならない」みたいな言葉が言われなくても続いて出てきてしまうんじゃないでしょうか?

でも、その答えってほんまに自分で考えて導いたんやろうか

 

もしそうじゃないなら、
「平和教育」によって考えることをストップさせられてしまってるんちゃうやろか?

 

そう考えるようになりました。

毎年毎年、ほとんど同じことの繰り返し。
そして、似たような感想を書く。

まるで、風物詩と化した「平和教育」は平和に繋がっているんだろうか?

むしろその逆のことをしてるんじゃないやろうか。

 

まとめ

 

オシエンさんの回答を聞いたときに、思いついたんですよ。
深読みしすぎなので、オシエンさんはそこまで意図して「どうかな?」って答えたんじゃないとは思いますが、もしかしたら「考え続けることが大切」っていうことかなって。

 

子どもの頃の喧嘩を思い出してください。

殴られたことあります?
あるいは、殴ったこと。

私はどっちもあります。

どんな時に手を出したか思い出してください。

 

最初はきっと口で言い合ってましたよね?

そして、だんだんお互い何を言ってるかわからんくなってきて、カーッとなって。

 

そして、「考えるのをやめる」んですよ。

その後です。手が出るのは。

 

戦争も同じちゃうんかな、話し合っている時、考えている時じゃない。
話し合うのや、考えるのをやめた時に起きる。

 

もちろん、そんなに単純な話じゃないですよ。

でも、身近な人と戦争についてせっかくだから話してみませんか。
そして、自分たちにできることは何か、考えて行動してみましょう。

 

まずは、簡単にすぐできる行動を!
本を読んで知識を身につけましょう。

いや、
分厚い本を読むのはちょっときついなーって人はTwitterで平和教育にも繋がる、SDGsや国際協力、教育などについて短文で毎日つぶやいていますので、ぜひフォローをお願いします。
コージコーダイ@kodai_chi_koji

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上の名前がコージ、下の名前がコーダイです。 兵庫県生まれ、福岡市在住。 最近、長男が生まれてパパになりました。 暇を見つけては講演、研修の講師をしています。 人の意識を変え、国際協力の必要のない持続可能な社会にすることが目標です。
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