【宗教理解】信仰を持つ人を受け止めるためのオススメの考え方
どうもコージコーダイ(@kodai_chi_koji)です。
みなさん、宗教を信じている人との接点は日常的にありますか?
宗教が嫌いな人も多いと思います。
でも、宗教を理解しないとなかなか国際社会でのコミュニケーションがうまくいきません。
ということで、今日は海外での生活を通じて実体験から私が編み出した宗教の受け入れ方というか、理解の仕方についてご紹介します。
以前の記事で宗教について伝える時に無宗教っていうのはちょっとやめようねって書きました。
>>>海外で宗教を聞かれた時の答え方で「無宗教」はNG!
合わせて参考にしてもらうといいと思います。
ちなみに、動画でも話しているのでもしよかったらどうぞ。
アプリケーションとOSの関係で整理してみよう
おそらく、宗教にアレルギー反応を示す人の多くは、宗教をなんらかのソフトウェアやと捉えてると思うんですよ。ソフトウェアってのはワードとかエクセルみたいなやつのことです。
もしかしたらスマホ世代の人には、アプリって言う方が分かりやすいかもしれません。
例えば、ドラクエウォークとかポケモンGOみたいな感じですね。
宗教のことをソフトウェアとかアプリのイメージでとらえていると、宗教を信じてるみたいな話を耳にしたときに、
えっ!なんでそんなアプリを使ってるの!あやしいっ!!
みたいな反応をしてしまうんです。
私も宗教をある程度理解するまでそんな反応をしていました。
ただ、海外でボランティアをしてたときに、宗教があたりまえのようにあったんですよね。
カトリックの学校で授業をしてたし、ホームステイ先の家族はみんなプロテスタントやったし、日常的に宗教と接する中でソフトウェアとかアプリみたいな「付け加えたもの」のイメージやと説明がつかんことに気づいたんですよ。
帰国してから、同じくイスラム教とか仏教みたいなのを強く信じてる国から帰ってきた人たちと情報交換しててもみんな似たような感覚を覚えてたんですよね。
ほんで、ある時、ピンとひらめいたんですよ。
宗教ってアプリとかソフトウェアのイメージじゃないんですよね、
どちらかと言うと「OS」なんです。
例えば、Windowsとかマッキントッシュ、あるいはリナックスみたいなやつです。
スマホで言えば、アンドロイドやiOSみたいなやつです。
つまり、そもそも簡単にアンインストールとかできるようなシロモノじゃないんですよ。
生まれたときから当たり前のように入ってるし、一度インストールされたら、ずっと同じOSの中でアップロードしていくのが一般的なんですよね。
これに気づいてから一気になんか宗教に熱心な人とのお付き合いが楽になったんですよね。
そして、この考え方をすると自分たちが無宗教だとかっていうのもちょっと違うってことに気づくことができます。
じっくりと自分と向き合ったら気づくんですが、それぞれに根っこの部分の価値観みたいなのってひとりひとりちゃんとありますよね。
例えば、親を大事にするとか、物を大事にするみたいなのもそうやし、悩んだ時には友達のアドバイスを素直に聞くとか、困ってる人がいたら必ず一声かけるみたいなやつです。
明文化されたバイブルみたいなのがなかったとしても、実はそれが宗教にあたるようなものなんですよね。
ちょっとカルトとかの話になるとまた別の問題が発生しちゃうのでここでは触れませんが、こう考えると宗教ってそんなに悪いもんでもないし、むしろ何かを信仰することで人としての安定性が増すようなもんなんですよ。
少なくとも、私は過激な思想の人とかじゃなければ、宗教を信じてる人でめちゃくちゃおかしな人に出会ったことはないし、
むしろ、おだやかに、自分たちの世界観をとても大切にしている人たちばかりでした。
もし今後、みなさんが、特に外国の人とかと接する時に、自分とは異なる宗教観を相手が持っていた場合、ぜひOSの違いなんやっていう風にとらえて話をしてみてください。
たしかに悪いOS(というかバグやウィルスのようなもの)もあるし、それがさっきスキップしたカルトみたいなやつですが、もともとOS自体は別に何か悪さをするためにあるんじゃないんです。
むしろ、コンピューターが円滑にさまざまなことを処理するために入っているものです。
なんとなく、自分自身に違和感を感じるとか、人生に漠然とした不安を抱えてたりする人は、自分のOSってなんなんやろ?みたいな自己分析をすると安定感が増しますよ。
あるいは、ほんまに疲れたって時は、宗教の門をたたくのも悪くないですよ。
今日の話でちょっとでも宗教アレルギーの人が減ったら嬉しいなーと思います。
※動画の方でOSもソフトウェアじゃない?っていうようなご指摘があったことを追記しておきます。