「教師に対する暴力行為」を博多高校の元教員はこう見ている【#先生ハンパないって】
どうもコージコーダイ(@kodai_chi_koji)です。
「教師に対する暴力行為」
久々にこの話題について記事を書きます。
八月に放送予定の【クローズアップ現代+】の取材対応をさせていただきました。
NHKは従来型の番組作りに限界を感じ、今ではSNSなどを駆使して取材や情報発信をしていて、取材についても下記にリンクを貼っていますように広く意見を募集しています。
【教師が生徒に殴られる】
福岡の高校で起きた衝撃の事件(動画をご覧ください)。
他の教師からも“私も生徒に殴られた”という声が寄せられています。あなたのクラスは大丈夫ですか?
教師・生徒・保護者の方からの情報をお待ちしています。
下記リンクまで。https://t.co/xs5InZVR2a pic.twitter.com/FQVA3WctJp— NHK「クローズアップ現代+」公式 (@nhk_kurogen) 2018年6月20日
この記事では、
- 取材に応じた理由
- 伝えたいメッセージ(教師に対する暴力行為の見方)
- メディアとの付き合い方
について書いていきますが、
この記事を読まれる前に、
- あなたはどのようにこの事件を見たのか
まずはぜひご自身の意見や考え方を整理してみてください。
それでは、続けます。
目次
取材に応じた理由
上に書いたようにですね、NHKが情報を収集しているということを知ったんですよ。
でも、正確には自分で見つけたわけではなく、
「もしよかったら意見を投げてよ」って知り合いから促されたのがきっかけです。
私自身この動画で有名になった高校でもう10年程前ですが働いていました。
だから、事件直後に以下の記事を公開したんです。
>>>元博多高校教師が考察する、先生に対する暴力行為の背景について
当時、広く拡散された記事なので目にされた方もいらっしゃるかもしれません。
記事中にも書いてありますが、動画になっているような状況は決して特殊な事件ではないことを知っている身として、無節操に加熱する報道、ネット上の意見などに疑問を感じたので記事にしました。
私なりに現場で奮起する先生方へのエールのつもりで書いたのを覚えています。
実際、この記事の反響は思った以上で、公開してから既に一年近く経ちますが、今でも時折拡散されて多くの方に読んでいただいています。
何よりも、直後に多くの現場の先生から直接メッセージが寄せられました。
その多くが以下のような声でした。
「似たような境遇で働いていて、心無い報道に落ち込んでいた、記事を読んで涙が出ました」
「外から見えないことを説明してくれてありがとう、言いたくても言えないことを言ってくれてありがとう」
「勝手な話ですが、自分のことを応援されている気分になりました、ありがとうございます。明日からも頑張れそうです」
そうなんですよ。
学校の先生って基本的に常時フルボッコにされているんです。
反論できる立場にいないんですよね。
言われっぱなし、やられっぱなし。
そして、学校で起きたことについての回答をするのは現場の先生じゃない。
私学の場合は管理職が対応しますし、公立の場合は管理職、もしくは教育委員会などが回答しますよね。
そして、毎度毎度のことですが、リスク回避のために心のこもっていない上っ面な対応をするから、教育関係の報道はますます加熱します。
>>>【博多高校教師暴行事件】謝罪文がどうして再炎上したのかについての考察
これっぽっちも、現場の声が聞こえてこない。
こういった状況の時、現場の先生は口を塞がれます。
そして、真実は闇の中。
ゴシップと化した情報が飛び回り、数週間、長くても数ヶ月経てば世間の関心は薄れて記憶は風化していく。(そして忘れた頃にまた同じ過ちを繰り返す)
しかし、批判に晒されている間も、そして忘れ去られた後も、今現在も。
先生たちは歯を食いしばって課題と向き合っているんですよ。
そんな中、今回のNHKの話がありました。
知り合いからリンクが送られてきたので、読んだらご意見を広く集めているとのこと。
正確には覚えていませんが、
かつて該当校で働いていたものです、事件直後にまとめた記事がありますので、番組作りのご参考にもしなれば幸いです。
>>>元博多高校教師が考察する、先生に対する暴力行為の背景について
確かこのぐらいの短文だけで投書させていただきました。
記事には偉そうに「報道機関へ」みたいな内容もまとめていたので、このまま読んでもらって何かしら現場の声を理解する助けになればと思って投げかけていたのですが、数日後に番組ディレクターからアポがあって、電話で話したところ、めちゃくちゃ真剣なんが伝わってきたんですよ。
簡単にまとめますが、ディレクターさんの想いは次のようなものでした。
- 昨年の事件以降、番組にも多くの先生から「私もです」との声が届いている
- 番組として、学校現場で何が起きているのか、どう捉えたらいいのか分からなくなっている
- 事件直後ではなく、今だからこそ報道としてこの問題に対して何ができるかを考えている
- そのために困難校の様子を知る人の意見や考え方を知りたい
これを聞いた瞬間にめっちゃ嬉しくなったんですよ。
私は基本的にマスメディアが嫌いなんです。
テレビも見ませんし、【クローズアップ現代+】も実は大きな番組だということすら知りませんでした。
なんならローカル局の番組かなとまで思っていました。すんません。
しかしですね、よくよく考えるともしかすると学校もメディアも同じなのかなと思ったんです。
何の話かと言うと、テレビに映る番組って表舞台ですよね。
それを作ってる人たちがいるんですよ。
でも、私たちの目に入ってくる、知りうる話はテレビに映る部分ばかり。
その裏では、結構いろんな思い、「社会課題を解決してやろう!」みたいな熱い思いがあるんちゃうかな。
って考えると、先ほどの教育委員会や管理職、現場の先生の話と同じように見えてきませんか?
さてさて、というわけで、
- 独り善がりな使命感とでもいうべき感情
- それを後押しする現場の先生の声
- ディレクターさんの熱い想い
これらに支えられて、今回取材を受けました。
また、いろんなリスクを考えましたが実名で受けることにしました。
伝えたいメッセージ
実はですね、取材を受ける前日に相当悩んだんです。
自分の考えをある程度まとめてから臨むか、それとも何も用意せずにその場で考えて答えるか。
考えて考えて考えた結果、後者にしました。
理由は単純で、事前に考えを作ってしまっていた場合、それに縛られて回答が上っ面になってしまいそうだと思ったからです。
取材は2時間半以上かかりました。
きっと30秒ぐらいは番組中でも使われるんじゃないでしょうか。
ディレクターさんと向き合って質問に答える形式で進んでいったのですが、やはりカメラが回っているとなかなか話したいことが話せないものです。
どこを切り取られるかやっぱり怖いですしね。
また、メディアの特性として必ず「撮りたい絵」があります。
それに引きずられないようにもかなり自分自身の発言を俯瞰しながら挑みました。
メディアには必ず撮りたい絵があって、それは避けられないものであるということは、先日公開しましたこちらの記事をご参照ください。(この記事を書くために作成した記事です)
>>>平和教育教材のドキュメンタリー映像作りとメディアリテラシーについて
事件直後の記事の段階と、今ではやはり考えは変わっています。
もちろん私自身に多くの情報が入ってきたこともありますし、その後考え続けた結果でもあります。
その上で、私の伝えた(つもり)のメッセージは、
- 特殊な世界の話じゃない
- 犯人探しはもういらない
- やっぱり悪いのは先生
- 自分たちにできること
大きく、この4つです。
それぞれについて、ちょっとだけ説明させてください。
特殊な世界の話じゃない
もうね、「ありえない」という文脈での報道や、批判をやめましょう。
めちゃくちゃ尊敬してる日本語文法の先生がいるんですが、その人が昔言っていた言葉に次のようなものがあります。
さっき、駐車場で学生が「ありえない」って騒いでいたんだけど、
「ありえない」ということがありえないよね。だって、実際に起きていることを「ありえない」と言ってるんだろ?
「ありえてる」じゃないか。
ほんまに、これですよ。
つまり、「ありえない」と批判する人の声は「あって欲しくない」とか、下手すると「知りたくなかった」とさえ私には聞こえてくるんです。
分かります。「ありえない」といって特殊な話として処理した方が楽ですもんね。
でも「ありえない」と蓋をするのではなく、「あったこと」として問題に向き合うべきなんです。
また、同じような話ですが、特定の場所で起きた特殊な話で片付けようとするのも問題があることにそろそろ気づいた方がいい。
今回で言えば、「博多高校」で問題が表面化しました。
でも、これって本当に氷山の一角でしかないんですよ。
もっともっとでかい氷の山がその下にあるんです。
インタビューの中でも、
「博多高校にはそういった暴力が発生する土壌があったと考えますか?」
という質問が何度かありました。
この質問に対する私の答えは、「どこの学校にでもフツーに起こる可能性はある」です。
教師の人権が、失われた権威が、みたいな話がそこら中でまことしやかに話されていました。
もちろん、そんな要素もあります。あながち間違いじゃないです。
ただ、未成熟なんですよ。高校生って。
そして、びっくりするぐらい不安定です。
特定の条件下で、いろんな要素が後押しするとどこの学校でもいつでもありえます。
そして、実際に起こっている事です。
あなたが知らなかっただけです。
そして、多くの先生はそんなに問題にしません。
なんでかって?
一過性のものってわかってるからですよ。
そういえば、私の通っていた高校でもありましたよ。
同級生が、キレて授業中に教室の窓ガラスを殴ってぶち破った事件。
学校の中で綺麗に処分(停学?)されて終わりました。
感情的になりそうな問題だからこそ、だからもっと全体的な(マクロの)視点で見ないと見失います。
合わせて、ある意味もっと個別的な(ミクロな)視点も必要ですよね。
「この先生とこの生徒(このクラス)の間に起きたこと」なんです。
別に、博多高校全体で起きている訳ではない。
逆に言うと、全国に「その先生とその生徒」「あの先生とあの生徒」はたくさん存在するんです。
ミクロな視点で見ると、ますます全国的にどこにでもある話だということが分かると思います。
犯人探しで盛り上がるのはもう辞めよう
犯人探しが流行るのはどうしてでしょうか?
私は以下の2つの理由があると考えています。
- 下衆な好奇心
- 問題に対する不快感
一つ目については、今更指摘するまでもないでしょう。
ある意味仕方ないものかもしれません。
ただ、看過できないのはむしろ二つ目です。
「ありえない」出来事に早急に蓋をしたいんですよ。
そのために、手っ取り早いのは犯人を見つけることです。
「あいつが悪い!」
そう言ってしまえばスッキリします。
次に同じような問題が発生するまで束の間の安心感を得られるんですよ。
このことは問題の解決を先送りにします。
そして、根本的な問題を解消しないので悪化させます。
やっぱり悪いのは先生だ
直前の文章と矛盾するようですが、あえて言わせてもらいますね。
今回の事件を改めて振り返ってみました。
やっぱり悪いのは先生です。
ネット上では、
「立派な先生、とんでもない生徒」
という評価がもっとも主流でした。
厳しいことを言いますが、あの動画をまともにみた教職関係者で「立派な先生」って評価する人はほぼおらんのちゃうかな。
誰がみても「先生が悪い」です。
今回、取材を受ける中で改めて動画を見ながらコメントくださいって言われたんですよ。
「コメントなんかできるかなぁ」
って言いながらスマホを開いて、
事件直後ですらこんなに何回も見てないわ!
ってぐらい動画をループで見てたら気になることだらけでした。
- 生徒が前に出てきても背中を向けて生徒と向き合おうとしない
- 生徒が戻ってから、一言の指導もなく授業を続ける
実際、荒れたクラスとか持ったら分かるんですけど、生徒って授業は聞かん奴でも、めっちゃ話は聞いてくれるんですよ。
特に、絶対伝えたいメッセージみたいなんを発信すると、結構キラキラした目で聞いてくれます。
そうですね、例えるなら小学生みたいな目ですかね。
ちょっと単純化しすぎですが、彼らの教師の評価項目でかなりのウェイトを占めてるのは「自分たちのことを本気で気にしてくれてるかどうか」です。
あかんことをちゃんとあかんって言ってくれる先生のことを忌み嫌う生徒はいません。
表面上は違いますよ。「あいつウゼー」とか言いますよ。
でも、どっかで「有難い」、「申し訳ない」って思ってます。
だから、どんなにアホなことしてても、こっちが本気モードになったら、それに応えてくれます。
正直、今回の事件で一番の被害者は生徒ですよ。
暴力を振るった生徒も含めた生徒全体です。
そして、あの事件の後、
ますます色眼鏡で見られるようになった全国の教育困難校だけでなく、学校社会全体です。
だって、先生が違っていたらこうならんかった訳ですからね。
実は事件の後、該当教員を知る先生から色々な話を聞きました。
(これについては、教育業界の狭さと講演業で複数の学校や教育機関をハシゴしているからできる技です)
その中で聞こえてきたのは、
- 彼(先生)は何もダメージを喰らっていない。
- あの事件の後も普通に落ち込むこともなく、むしろ仕事が減って嬉しそうだ。
- 指導をしても何も聞こうとしない(反映されない)。
といった話です。
しかし、こんな情報わざわざ聞かんでもあの動画みたら伝わってくるでしょ。
自分があの教室にいると想像してみてくださいよ。勘弁してくれ! って思いませんか?
どんなに初任で何もわからんかったとしても4月5月ちゃうんです。
9月末ですよ。もう関係性作れるやろ。
どんだけ生徒のこと無視し続けてんねん。
ふざけんなよ!
仕事にプライドと責任持てよ!
って言いたくなります。
正直ね。
ただ、それでも! その先生についての批判は必要ない。
私はそう思っています。
理由は単純で、本人を批判しても1ミリも事態を良くしないからです。
もっと言うと、頑張ってるけど出来ない人ならまだしも、
どうにかしようとしていない人は何を言っても改善の見込みがないからです。
叩くのもほんまに無駄な時間なので、もう辞めましょう。
もう学校を去ってますしね。
自分たちにできること
これについては、インタビューの中で話していなかったと思います。
ほっとけばいい、ほっとけばいい、
批判するな、批判するな、
ってじゃあどうすればいいんや!
ほっといて学校が良くなるんか!
そんな厳しいツッコミがきそうですね。
ただ、言わせてください。
正直、そんなに学校自体は悪くないですよ。
悪い悪いと言われる人は、どこが悪いんですかね?
入ってくる情報から感情的になっているだけじゃないですか?
実際学校に入ってみてください、大きく昔と変わらないです。
相変わらず、教師は常識はずれだし、変な人が多いです。
むしろ、最近は採用試験がおかしくなってるので、変じゃない先生が増えてきて、お利口さんな先生の方が様々な問題を起こしていると言う話は色々とややこしくなるので今回は触れずにおきましょう。
だからもう少し好意的に学校を見てほしいのです。
前回も書きました。
- 給料もそんなに良くないです。
- 拘束時間も長いです。
- 昔ほどありがたがられません。
- プライベートもありません。
私の知ってる先生たちは、特に若い先生たちは、使命感だけで働いています。
全国で先生が足りなくなっています。 大量採用の弊害で多くの学校や教室が崩れかけています。
それでも、踏ん張っている先生がいっぱいいますので。
どうか、もうちょっと応援してもらえないでしょうか。
いや、けしからん!!
って言う人。
そんなあなたを学校は求めています。
通信ででも免許取れますよ。
やっぱり、先生は今も昔もカッコいいですよ。
子どもたちの一番近くで働く大人です。
ぜひ、応援してやってもらえませんか?
いいところを見つけたら拡散してやってください。
口コミでもいいですし、SNSを使ってもいいです。
「先生カッコええぞ!先生いいぞ!」
ってゆうてやってくださいよ。
間違いなく、学校はどんどん良くなります。
今、若手の先生がめちゃくちゃ頑張ってますからね。
彼らにぜひ力を与えてやってください。
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メディアとの付き合い方
蛇足かもしれませんが、
今回の事件で感じたメディアとの付き合い方について書いて終わらせたいと思います。
教育機関はもっと積極的にメディアとの距離を詰めた方がいいんちゃうかな。
事件がおきた時もそうですが、平時からね。
閉ざされた空間で、必死で都合の悪いことを隠そうとするから不必要な憶測を呼ぶんです。
個人レベルでもいっぱい知ってますよ。教育委員会が必死で揉み消してる都合の悪い話。
「え、全てを晒しだす?!」
「そんなん何書かれるかわからんやん!」
確かにそうですよ。
それがメディアですから。
お金を払えばいい。
でも、取材を受けて第三者の目で切り取られた世界やからこそ視聴者や読者が信頼するんじゃないの。
胸張ってやってる仕事なんやったら、物怖じせずに第三者の目による評価を受けたらええやん。
仮に世間からバッシングを受けたら、もっとええ学校や組織になるやん。
しかも、もしメディアの書きっぷりがおかしいんやったらね、絶対擁護してくれる声が出てきますよ。
地域や保護者からね。
オンエアされるまで、自分の話のどこが切り取られるのかも、どんな文脈で使われるのかも分からないので正直不安ですが、私自身上に書いたような心づもりで今回の取材を受けました。
今回の番組が、学校社会の抱える多くの課題の一端の解決に繋がることを期待しています。
長文を読んでいただきましてありがとうございました。
もっと読みたいぞ! って稀有な方は私の記事の中でもやたらと良く読まれているSDGs(持続可能な開発目標)についての記事を置いておきますので是非どうぞ。
>>>【子どもにも分かる】SDGs(MDGs)と国連について簡潔にストーリーで解説するよ
事件直後に書いた記事がやっぱり気になる人はこちらからどうぞ。
>>>元博多高校教師が考察する、先生に対する暴力行為の背景について