【いじめ】絶対に防止できないことにそろそろ気付こう【的外れな施策だらけ】

 
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上の名前がコージ、下の名前がコーダイです。 兵庫県生まれ、福岡市在住。2児の父。 人の意識を変え、国際協力の必要のない持続可能な社会にすることが目標です。
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どうもコージコーダイ(@kodai_chi_koji)です。

そろそろ、いじめやら何やらで自殺のニュースを日本から無くそうよ。

ということで、真面目にポストします。

 

目次

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いじめの定義

児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校(小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校)に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの

ーーいじめ防止対策推進法案より

読む気も失せると思うので噛み砕くと「怪我とかさせられんくても、嫌な気持ちだけやったとしても、された人が辛いと思ったらいじめだよ」ってことです。

 

いじめ防止対策推進法案には何が書いてるの?

 

これまた、ざっくりいうよ。

いじめあかんよ、絶対あかん。防止せんとあかん。でも、いつでもどこでも発生しうるからね、発生した場合はできる限りすぐに対処せなあかん。対処はこんな感じでやるんやで

ーーー筆者まとめ

ってことが書いてます。

 

ほんまにね、アホかなと思うんです。私はこう見えても想像力豊かなんで、いじめられてる子のこととか考えると涙出そうになります。だって、内容がとんちんかんやねんもん。

 

これでは救えないし、だから自殺減らへんやん。というか増えてるやん。

自殺者が増えてる理由は正直、この法案のせいやと思ってます。

そして、文科省やら教育委員会やらの施策のせいやと思ってます。

暴論ですけど。大人都合のせいで子どもが死んどると思うんです。

 

まず初めに言うべきこと

 

「いじめはあります」

私は、これやと思います。ありますって言うのは、法案やら「いじめの防止等のための基本的な方針」やらで書いてある「おこり得ます」って話じゃないんです。

「今あります。と言うか、ずっとあります。防止とかできません。できるわけありません。だって、今いじめられてる人おるもん。と言うかそれが解決したとしても絶えずおるからね。一生あるで、仕事してもいじめあるし、仕事せずに主婦したとしてもママ友のいじめもあるで。絶対なくならへんで」

ほんまにこれです。

でもね、法律でこんなこと言えないでしょ。だからね、法律なんか作るべきやないんです。

いじめを法律とか、施策で解決できると思うのが愚の骨頂。言語道断です。正直、国だって教育委員会だって対策してますよってアピールするための道具でしかない。

 

法律が学校現場にもたらすもの

 

正直、何が起きるか想像できひんかったんやろか。

「防止」対策推進法案ですよ。いじめは学校にあってはいけないんです。

いじめの防止等のための基本的な方針でもはっきりと「根本的ないじめの問題克服のためには(中略)いじめの未然防止の観点が重要」って書かれています。やっぱり、あってはいけないんです。

起きた場合は早急に対処しろって言うてますけど、その前に、あってはいけないんです。大人の社会でも、どこの世界でもなかった試しのないものが「あってはいけない」のです。

だから、多くの現場では「ないこと」が前提で話が進みます。子どもたちも「ないこと」が前提で生活をします。

おかしないですか?だって、あるやん。

 

「いじめゼロ」から「未解決いじめゼロ」にシフトしよう

 

言葉は大切です。特に、お題目はね。

例えば、私の住んでいる福岡市は「いじめゼロプロジェクト」という活動をしています。

いじめゼロプロジェクトは、基本方針に忠実に「いじめは、どの学校にも、どのクラスにも、どの子どもにも起こりうる」という立場に立って、未然防止の取り組みを各学校ごとに展開しています。

このプロジェクトによって子どもたちが主体的にどうすればいいかなどを話し合って、行動計画を作っていたり、集会などで取り組みについて発表したりしており、各学校そのものはすごく素晴らしい取り組みをしています。

「起こりうる」という言葉には「起こってない」という意味が内包されています。少なくとも起こってない状態が「正常」、起こっている状態が「異常」と考えていることは明らかです。現実は逆でしょ。起こっていない状態が「異常」、起こっている状態が「正常」やん。

少なくとも、そう思っていた方がいいと思いませんか?

だからですね、お題目として「いじめゼロプロジェクト」をさっさとやめて「未解決いじめゼロプロジェクト」とかにした方がええと思うんです。

そのためには、「いじめはある」ということへの諦めが必要です。そして、その次に「しかし絶対に解決できる」という信念が必要です。

私は、いじめをゼロにすることは絶対無理やと思っています。

でも、いじめで自殺する子どもをゼロにするのはそんなに難しくないと思っています。

 

今のところ、自分の答え

 

私は自分が教員をしてた時は、こんな感じのことを伝えていました。

先生はいじめが嫌いです。でも、これまでにいじめたことがあります。そして、いじめられたことだってあります。

今、このクラスにいじめはありますか?先生はあると思いますよ。少なくとも火種はあると思います。どっかで、「あいつムカつくなとか」「あの子はちょっと汚いな」とか。この中の誰もそんな気持ちを持っていないっていうと嘘やと思います。言ってないだけでもしそんなこと友達から言われたら嫌だよね?言われた人がちょっとでもやだなーって思ったらそれがいじめです。言ってないだけ。だからいつ言ってもおかしくないやん。だからやっぱりいじめはあるんだよ。今もしかしたら奇跡的になくても明日あるよ。明後日あるよ。

先生だってあるよ。職員室帰ったら「できたらあの先生と話したくないな」とか「ペンを貸してって言われてもこの人には触られたくないな」とかね。あります。そりゃあるよ。人間同士やもん。だからね、やっぱりクラスにいじめはあるんです。絶対にあるよ。

ほんでね、あっていいんです。いじめがない場所とかないからね。大人になってもあるよ。絶対ある。

でもね、いじめが嫌いってゆうたよね。なんで嫌いかってゆうとね、誰も得しないからです。だって、嫌じゃない?もし誰かがいじめられてたら。嫌な空気になるよ。だから、もしあったら解決しよう。毎日解決しよう。

このクラスはいじめがあるクラスです。でも、毎日解決してから帰るクラスです。いいね?

いじめはどこにでもあるけどね、解決できないいじめはないからね。困ったらなんでも言ってください。問題を解決せずに家に帰るのだけは絶対に先生は許しません。

学校は大丈夫だから。なんかあっても解決してやるから。でも、もし卒業して、例えば仕事を初めてから職場でいじめられたら連絡してこいよ。先生が話聞いてやるよ。仕事辞めたかったら、次の仕事一緒に探してやるから。死ぬんはちゃうで。死にたくなる時あるけどな。先生もこれまで三回ぐらいはあったよ。ここだけの話な。でも、死んでも誰も喜ばんから。死ぬ前に連絡してこいよ。今はもしかしたらなにゆうてるか分からんかもやけど、思い出したら連絡してこい。

しぶとく生きてたら、人生は思ってるよりええことあるし、楽しいで。

これが正解なのか、これでなんとかなるのかは分かりません。でも、少なくとも「いじめゼロ」を標榜するよりはよっぽど、当事者を救うことはできると思っているし、問題を深刻化させることも減らせると信じています。

いじめとかでやっぱり人が死ぬ世の中はあかんと思います。考えることができる生物として、理性を持つ生物としてなんか私たちの存在意義が問われていると思うんです。

そろそろ日本からなくしましょう。いじめで自殺の報道。

現場の先生方があらゆる教育問題に奮起していることは重々承知しております。先生方を批判したいという思いは毛頭ありません。また、文科省や教育委員会などにも現場のために社会のためにと奮起されている方がほとんどであることも承知しております。もし、この記事で不快な思いをされた先生がいらっしゃったら私の文章力のなさがなせる技ですので、この場をかりてお詫びします。すいません。

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