海外で宗教を聞かれた時の答え方で「無宗教」はNG!
どうもコージコーダイ(@kodai_chi_koji)です。
いきなりですが、
あなたの宗教はなんですか?
きっとギョッとしましたよね?
日本では
- 宗教
- 野球
- 政治
上にあげた3つだけではなく、熱心なファンがいるもの(例えば、アニメ、映画、ミュージシャンなど)についてもそのネガティブな評価については避けたほうが無難だと言われています。
だからですね、きっとほとんどの方が当たり前のようにこれらの話は避けて日常生活を送っていると思います。
しかし、野球についてはよく分かりませんが、少なくとも政治と宗教については海外で日本のような考え方でいると恥をかきます。
初対面で話をしている時ですら、政治や宗教の話はフツーに出てきますし、時にはその場で議論をするようなこともあります。
恥だけで済めばいいですが、時にはトラブルになることだってあります。
だからこそ、ここでは問わせてください。
あなたの宗教はなんですか?
えっ? 無宗教?
その答え方すると、多分こんな顔されますよ。
実は、「無宗教です」っていう回答は多くの国の人々にとって選択肢にないんです。
この記事では、
- そもそも宗教とは何か?
- どうして私たちのような宗教観が成立してしまったのか?
- 実際、海外でどのように答えると正確に自分たちの宗教観が伝わるのか?
について、丁寧に説明をしていきます。
目次
そもそも宗教とは何か?
実は、ここが分かってないと話を先に進められないので最初にさせてください。
宗教は端的に説明すると、分からないことや考えられないことを説明してくれるものです。
決まっていないことを決めてくれるものと言ってもいいかもしれません。
例えば、雷のことを考えてみましょう。
雷が鳴っているとき「雷さまが〜」みたいな表現、今でもしますよね。
面白いことに、世界中に雷の神様がいます。
日本はもちろん、北欧のフィンランド、アメリカ大陸のマヤ・アステカ(古代文明)、アフリカのナイジェリアなどなど挙げきれないぐらいの国に雷の神様がいます。
ちなみに、私がボランティアとして活動していた太平洋の島国ミクロネシア連邦にもいました。
名前がなかったとしても、雷は例えば「神の怒り」であったり「何かのお告げ」だったりした訳です。
ゴロゴロ!ドガーン!
ってめっちゃ怖いですもんね。
しかし、雷を神だと思っている人は今ではほとんどいないでしょう。
なぜなら科学が雷を証明してしまったからです。
雷だけではありません、例えば人間が進化によって今の姿になったということや、地球が球体で太陽の周りを回っていることなど、これまで宗教が説明してくれていたものが科学の進歩で次々に証明されていった。
そして、現在はかつてないほど宗教に権威がなくなっています。
でも、宗教はなくならない。
なぜかというと、いくら知性が発達して、科学が進歩してもどうしても答えられない問いがあるからです。
- 私たちはどうして存在しているのか。
- 私たちはどうして消滅する(死ぬ)のか。
例えば、自分たちがどういう過程で進化をしてきて今の姿になったのかは今後もしかすると明らかになるかもしれない。
でも、どうして私たちがここにいるのかについて科学は無力でしょう。
寿命は長くなりましたが、それでも私たちは必ず死にます。
死んだらどうなるのか、これについても私たちは知るすべを持たない。
実は、生命が知性を持った時から宗教が生まれることは必然なんです。
宇宙にもし知的生命がいたら、私たちと同じような孤独を感じ、そして宗教を持っていると考えて間違いはないでしょう。
まるで、谷川俊太郎氏の「二十億光年の孤独」みたいですね。
考えても考えようのないことをそれぞれ説明を試みているのが各宗教です。
ある宗教では、私たちは神によって作られたと説き、またある宗教では、この世界は永遠に続く法則があるのみで、今ここにいる私たちは一種の現象でしかないと説きます。
(個々の宗教については後日余裕があれば別記事でご紹介するかもしれません)
とにかく、それらの宗教観を土台として人類は文明を築き上げているんです。
このように考えていくと宗教というのはそれを切り離して考えられるものではなく、人間の存在、あるいは社会構造そのものだと言えます。
だから、「無宗教です」という回答に対して、ほとんどの人から「???」という反応をされるし、場合によっては「危険な思想を持っている」と思われることがあり、例えば「テロリスト」などと勘違いされるきっかけにもなるんです。
私たちの宗教観の裏側にあるもの
日本にはごくごくありふれた風景をご紹介します。
- お盆にはお寺さんに墓参りに行かなきゃ。
- 今年のクリスマスプレゼントはもらえるかなー。
- 正月はどこに初詣に行こうかしら。
- 法事でお坊さんのお経を聴いてたら眠くなるよね。
- 結婚式はやっぱり教会がいいかなー。
どんな宗教もぐちゃぐちゃに入り込んでいますよね。
でも、別にそんなに違和感はないんじゃないでしょうか?
また、熱心に宗教を信じている人と出会ったら、
- あの人は心が弱いから
- 老い先短くなったからね
- 大病でも患ったんじゃないかしら
みたいな感覚を持っていませんか?
日本人ほど宗教を「軽蔑」している民族はいないです。
他にも色々ありますが、この2つだけとりあえず今回は取り上げて考えてみましょう。
宗教が混在しているワケ
江戸時代までの日本人は実は神も仏もぐちゃぐちゃに信じていました。
いまでも「神様、仏様〜」みたいなのにも名残を感じますよね。
つまり、もともと寛容だったんです。
それに拍車をかけたのが明治になってからです。
日本が開国して、様々な宗教が公式に入ってきました。
外国に信教の自由を約束させられた日本。
明治政府は天皇を担いで、自分たちの正当性を主張していましたので、忠誠をどうにかして確保したかったんです。
そこで、苦肉の策で思いついたのは、「神道は宗教にあらず」という考え方で、これを政府の公式見解としました。
日本人の生活や風俗習慣のなかに神道は溶け込んでいるから宗教ではないという理屈だったそうですが、宗教とは何かで述べた通り、そもそも宗教とはそういうものなんです。
そんな理屈が通るならイスラム教だってどっぷり生活の中に溶け込んでいますので宗教じゃないことになっちゃいます。
国家=神道(しかし宗教ではない)という謎の状況が敗戦まで続き、敗戦をきっかけとして、GHQの命令で神道が宗教に戻り、政教の分離が実現しました。
ね、ぐちゃぐちゃでしょ?
宗教を軽蔑しているワケ
こちらも実は江戸幕府、明治政府の政策によるものです。
檀家制度ってご存知ですか?
簡単に説明したら、葬式さえやってたら生活に困りませんよっていう制度です。
僧侶の収入を保証することで、布教して信者を獲得するといった宗教活動を禁止したんです。
これによって、僧侶は堕落し民衆は僧侶を尊敬しなくなりました、自分たちの宗派についても分からないといった宗教的無関心もこの時に作られました。
檀家制度はしっかりと保証する、でも神道は(宗教ではない)という詭弁で強要して、天皇の絶対化をはかりました。
この時の歴史がいまだに尾を引いて日本人の宗教に対する軽蔑につながっています。
海外で自分の宗教を聞かれた時の答え方
どうでしょうか?
私たちには宗教はないのでしょうか?
もう一度言います。
宗教とは社会構造であり人間そのものです。
私が強くオススメしているのは次の方法です。
「あなたの宗教は何ですか?」
この質問が問うているのは結局のところ
「あなたがこの世界をどのように認識してどのように考えているのか」
なんです。
もちろん特定の宗教でズバッと答えられる人はそれでいいでしょう。
しかし、クリスマスに初詣、そしてお盆などなど…。
何もかもがごちゃ混ぜになっている、多くの日本人には難しいと思います。
そしたら、別に「私の宗教は○○です」みたいな固有名詞で答える必要はないんですよ。
「めっちゃ答えるの難しいねん。
歴史的にいろんなことがあって、私たちの宗教観は混乱している。
クリスマスはキリスト教的に、ニューイヤーは神道的に、人が死んだら仏教的にすることが多いかな。
ただ、ほんまに信じてるかというとそんなに信仰心は厚くなくて、実はそれぞれの意味もあまり分かっていない」
みたいな回答を素直にすればいいです。
そしたら相手は単純に興味を持って根掘り葉掘り聞いてくれると思うので、それに答えるだけでこの問題は解決します。
ただ、最後に一言付け足すのを忘れずに。
「あなたの宗教についても敬意を払っているので、完全に理解することや改宗することは難しいとは思うけれど、是非とも色々教えて欲しい」
これがあるだけで、今後の人間関係が劇的に改善されるはずです。
まとめ
ホームステイの受け入れ家族や友達に文化理解を深めてもらうための一環で、
「宗教理解教育」を実施するための事前予習のために今回は執筆しました。
自分自身が海外生活の中で感じた宗教を思い出しつつ、文献も参考にして、
書きながら「日本人の死生観」ってどうなってるんやろうかっていうのが気になって頭にずっと引っかかっている。
生きる理由についても、死ぬ理由についても学校教育の中でほとんど扱われない。
私たちの多くは何となく生きなければいけない。そして死ななければいけない。
自殺者が多いのもうなずける気がする。
かといって、宗教を持ちたくてもなかなか心情的にも社会的にも持ちにくいのはすでに述べた通りやし。
特定の宗教の布教のための宗教教育ではなく、宗教理解教育については日本でも実施すべきちゃう?
科学が圧倒的な力を持ってる、今の時代でもすんなり受け入れられるような新しい宗教が必要なんかもしれんなー。
今回の記事を書くにあたって橋爪大三郎さんの「世界がわかる宗教社会学入門」を参考にさせていただきました。
橋爪さんは実はJICAボランティア(青年海外協力隊)の訓練所で派遣前に実施される訓練の一コマ「宗教理解」みたいなやつで講師を引き受けていただいている先生です。
私自身、候補生として訓練所で講義を受けさせていただいて、面白かったからその場でアマゾンでポチって読んで以来本棚に眠らせていたんですが、久々に開いて読み直すとめちゃくちゃ面白い。
ユダヤ教からキリスト教、仏教、儒教などなど。
主だった宗教は網羅してて、宗教を切り口に社会を見つめ直すことができました。
当時読んだ時も面白いと思ったんですが、今回ほどじゃなかったので、多分実際に海外で宗教を強く意識するようになってから私自身の課題意識も高まったんだろうなと実感しました。
「宗教」というのは忌み嫌うものではなく、グローバル化したこの社会においては、絶対に抑えておきたい教養の1つなので、もし読んだことがなかったらオススメします。