【今さら聞けない】「グローバル化」の意味を分かりやすく解説するよ
どうもコージコーダイ(@kodai_chi_koji)です。
突然ですが、グローバル化って何か説明できますか?
なんとなく理解したような気分で、
「いやー、グローバル化が進んでるよねー」
「これからの時代はグローバルなものの考え方をしないと」
なんて会話をしていませんか?
この「何となく」を積み重ねるといろんなエラーが生じるのでこの機会に整理しておきましょう。
ということで、今日はこの今更聞けない疑問をスッキリ解決します。
目次
定義を聞いてもいまいち理解できない
グローバル化って、「いろんなことが地球規模になる」ってことなんですけどそんなことを言われても、概念的な言葉の場合、辞書に書いてあるような定義を聞いてもいまいち理解できませんよね。
そして、定義的なものや、難しく説明しているものが必要なら、グーグル先生に「グローバル化とは」なんて聞いてもらえばいくらでも教えてもらえるでしょう。
だから、ここでは辞書的な小難しい定義は置いておきましょう。
まずはざっくりと理解しよう
私はだいたい研修や講義の時にはこんな風にまずは説明をしています。
「ヒト、モノ、カネ、ジョウホウが、どえらいスピードで国境を越えて動くようになったこと(その結果垣根がなくなっていくこと)」
この中で一つミソなのは、「動くようになった」というところです。
「なった」
過去形なんですよ。
だから「グローバル化が進むと・・・」みたいな言い方はもう古くて、今は既にグローバル化が進んだ世界に私たちは生きています。
20年ぐらいはまだまだグローバル化が「進む」みたいな文章も多く、その頃はよくグローバル化は波に例えて話されていました。「グローバル化の波に乗り遅れないために・・・」といった具合です。そして、もうその波は私たちを含めた世界中のあらゆるものを飲み込んで、波がくる前と後で別の世界を生きていると言っても過言ではありません。ただ、いまだに20年前ぐらいの感覚でいる人が多いように感じます。
だから、国際関係の講座や研修を担当させていただいていると時々、思春期真っ只中な感じの生徒や参加者からこんな声が出てくることがあります。
「俺はカンケーねえし、日本から出るつもりもないし、グローバル化の流れには乗らねえし」
みたいなやつです。
しかし、日本から出なくても既に日本がグローバル化しているし、そもそもグローバル化は流れに乗るとか乗らないとか個人が決めて選択できるようなものではないんですよね。
そうなんです。日本から出ないとしても、もうグローバル化した社会に私たちは生きるしかないんです。
どうしてグローバル化ってしたの?
人間が生活規模を拡げてきた結果、グローバル化しましたよって話で、特別難しいことではないんです。
これについては、具体的に私たちの歴史を遡ってから考えていくとスッキリすると思います。
例えば、大昔ですよ。服もきていなかったような、あるいはマンモスを追いかけていたような頃の私たち人間の生活を考えてみてください。
生活の範囲は小さな小さなコミュニティーの中だったはずですよね。それは例えば家族であったり、ムラみたいなもんでした。
そして、その時代に「ヒト、モノ、カネ、ジョウホウ(そんな時代にカネがあったのかという議論はここでは置いておきます)」はどこでやり取りされていたかというと、その小さな小さなコミュニティーの中で限定的やった訳です。でも、そんな時代でも例えば隣の家族や、隣のムラとかとも多少はやり取りがあったでしょう。
時代が進んで例えば馬に乗るようになったとしますよね。
そしたら、歩いて移動していた時に比べたらかなりの距離を移動できるようになったはずです。また、馬に乗せて荷物も運べるようになったでしょう。そしたら自然に少しコミュニティーが大きくなりますよね。クニみたいなんを越えたやり取りもでてきたでしょう。
航海技術が発達したら、大陸間の移動ができるようになり、荷物も格段に多くのものを運べるようになったら大陸を跨いだやり取りも始まりました。しかし、時間もかかるしリスクもかなりあったので、まだまだ自分たちのコミュニティーの中で「ヒト、モノ、カネ、ジョウホウ」は主に動いていました。
そして、車、電車、新幹線、飛行機。
どんどん移動技術は進歩していきました。
それに伴って、当たり前のように国家間や大陸間のやり取りが増えてきます。これが「国際化(internationalization)」というやつです。
しかし、まだまだ「国家」と「国家」の間のやり取りだった訳です。
例えば、ヒトが移動する時に入国審査がありますよね、パスポートやVISAが求められます。
「国際化」社会において「ヒト、モノ、カネ、ジョウホウ」は監視、コントロールされるものだったんです。
しかし、国際化が進むにつれてコントロールできなくなってきました。
分かりやすいのが環境問題です。例えば、温暖化という課題にについて考える時、私たちは国境で区切って語ることができないのは簡単に理解できますよね。いくら一つの国が低炭素化を推進したとしても、それ以外の国が同調しないとほとんど成果がでないんです。
環境問題について考える時に、地球という一つのシステムで物を考える必要が出てきました。まさにグローバルな物の考え方です。
そして、さらにグローバル化に拍車をかけたのがインターネットの誕生です。
一部の情報規制がある国家を除けば、個人がホームページなどから簡単に世界中のジョウホウを手に入れられるようになりました。これまで特にジョウホウについては、先進国中心でやり取りされていたのが、今やどんな開発途上国であっても、小さな僻地の村や、絶海の孤島なんかでも世界中のジョウホウにアクセスできるようになりました。
大昔では、ムラという枠の中でしかできなかったような密なやり取りが、地球という枠の中で出来るようになってしまったのです。
どうですか、「地球規模で」「国境を超えて」などといったイメージが持てましたか?
グローバル化がもたらしたもの
これについては、まずは想像してみてください。意外と簡単に想像がつくと思います。
上で取り上げたような環境問題など、地球規模の課題について取り組みやすくなりました。しかし、新たな課題をたくさん生み出しました。
生産性がものすごい上がりました。安価な労働力が簡単に手に入るようになりました。しかし、例えば自国の労働者が職を失い、格差は拡大しました。
文化がぶつかり合い、たくさんの新しい文化が生まれました。そして、多くの伝統が失われました。
あらゆる物事がそうであるように、グローバル化にも光と影があります。
グローバル化の次に来るもの
グローバル化については様々な研究が行われています。
そして、実は悲しきかなグローバル化の流れが出てきたのは人類の歴史上、今回が初めてではありません。
これまではどのようにしてグローバル化は終焉してきたか。
それは、戦争です。
グローバル化によって、格差が拡大し、社会不安が高まってきて、そしてそれを抑えきれなくなり・・・
ってなんだか、今の世界の話みたいですが、我々が辿ってきた歴史の話です。
さて、私たちのこの世界は今、グローバル化が進んでいる状態なのでしょうか?
それとも、もしかするとグローバル化は終焉しようとしているのかもしれない。そう考える方が自然なのかもしれません。
もう一度言います。これまでグローバル化は戦争によって終焉を迎えています。
これから先、私たちに待ち受けているものは何か。それが何であるにせよ、市民として「選択」した上で受け止めたいですね。