在住・訪日外国人に対する日本社会の構造的暴力。
どうもコージコーダイ(@kodai_chi_koji)です。
私の地元でもある関西が二度目の震災に見舞われたと言うことで、自分にできることを考えて震災時の多文化共生についての以下の記事をリライト(書き直し)して、投稿し直しました。
まだ、読まれていない方はぜひ一度目を通してから、この先の記事を読んでいただければぐっと理解が深まると思いますので、まずは以下のリンクよりどうぞ。
目次
きっかけは、いただいたコメント!
とあるコミュニティーで上述の記事をシェアしたところ、内容の理解をさらに深めるきっかけになるめっちゃええ意見をもらったんですよ。
コメントをくれたのは、いつもポカポカ私に元気をくれる「nacoさん(@naco222)」です。
※課題をより深めることができるめちゃくちゃいい意見なので引用させてくださいとお願いしたら快く許可してもらえたので、以下はそのまま引用させていただいています。
わたしの働くお店には外国人アルバイトが何人もいます。
みんな留学生です。
わたしは外国人アルバイトのお母さんです。
わたしは毎日アルバイトや外国人のお客さんと接しているので外国人に対してあまりハードルはないと思います。
日本人はけっこう外国人に対してかまえちゃうんですよね。
わたしは普通にがんがん日本語で話します。だってここは日本だから。
ベトナム、ネパール、タイ、中国みんなに共通して言えることは、本人たちが日本にいながら日本人と交わろうとしないことです。
みんな自分の国の言葉を日本で話し、自分の国の友達とつるむ。
わたしは、何しに日本に来てるの?って言います。
うちのお店では外国語禁止にしています。
同じ国同士の人もお店にいる間は休憩中でも日本語しか話せません。
せっかく日本に来ているのだから、日本人の友達をつくって、日本語で話してほしい。そうすれば、もっと日本語も上手になる。
外国人ももっと自分たちから日本人に関わってほしいと思います。
“nacoさん”
めっちゃええ意見!
めっちゃ本音!
めっちゃ当事者!
とにかく最高です。
このコメントによっていわゆる言語による「構造的暴力」が見えてくるんですが、その前に構造的暴力とはなんぞや? って言う説明を簡単に挟みますね。
構造的暴力とは何か?
ここからしばらく、ちょっとだけ小難しい話に思うかもしれませんが、できるだけ分かりやすく書きますね!!
そもそも暴力ってなんでしょう?
ウンウン、人と人だと殴るとかね。
もうちょい大きいところで見てみましょう。
国と国だとどうですか?
そうです、爆弾を落っことすとかです。
つまり、戦争状態ですね。
これを「直接暴力」と呼びます。
そして、この直接暴力がない世の中の状態のことを「消極的平和」と呼びます。
長らくですね、直接の戦争がない状態、つまり消極的平和のことが「平和」と考えられていたのですが、そうじゃないぞって1969年に言い出したのがガルトゥングさんです。
今この瞬間も、直接暴力が世の中にたくさんありますが、ちょっと想像してみてくださいね。
仮にですよ全ての戦争が終わったとして、世の中はどうですかね?
それは、その状態に置かれている人が悪いのでしょうか?
もっと努力すれば、なんとかなるんでしょうか?
実はその背景には個人の努力不足などではなく、搾取や剥奪などがあります。 そして、それらは構造的なもので、複雑すぎて誰が暴力を振るっているのかが特定できず、それ故に状況を作り出している側が自覚を持ちにくいという特徴を持ちます。
このような特定できる何かが暴力を振るうのではなく、特定できない構造的な何かが暴力を振るっていることを「構造的暴力」と呼びます。
そして、直接的暴力だけでなく、この構造的暴力を含めた広い意味での暴力の解消を目指すのが「積極的平和」の考え方です。
ちなみに、余談ですが安倍首相が「積極的平和主義」と言っていたのは完全にこの概念を理解しておらずに間違った意味で使っていたため、日本では多くの人が積極的平和主義とは「じっとしているんじゃなくて(ある程度の武力などを保持しつつ)平和な状態を保つために動くこと」みたいな勘違いをされてしまっています。
日本社会にある具体的な構造的な暴力って何?
言ってしまえば、日本にいる外国人が構造的暴力に晒されているんではないか?
と言うのがこの記事の主張の一つなんですが、もう少しイメージがしやすい例をここでは先に挙げてみます。
例えば、「女性の置かれている立場」なんかは構造的暴力をイメージしやすい事例でしょう。
日本で、男性と女性の収入格差をご存知ですか?
男性の方が圧倒的に高いです。
それって、女性が男性より劣っているからでしょうか。
過去に私が関わったとある女子校では学校の方針として「女性の輝ける社会を目指して」みたいなことを掲げていましたが、その学校の管理職は全員男性でした。
女性には管理する能力がないから管理職につけないのでしょうか。
どうですか?
直接暴力は振るわれていませんが、間接的に暴力を振るわれていますよね?
そして、この状態を作っているのは誰だ!!って言われても、見えない。
男性が悪い!とも一概に言えない。
誰がこの状況に責任を感じればいいのかもわからない。
まさに、構造的暴力がここにあります。
外国人に対する構造的暴力とは
さて、改めて外国人に対する構造的暴力について考えてみましょう。
nacoさんのコメントからそれが非常によく見えてきます。
わたしの働くお店には外国人アルバイトが何人もいます。
みんな留学生です。
わたしは外国人アルバイトのお母さんです。
わたしは毎日アルバイトや外国人のお客さんと接しているので外国人に対してあまりハードルはないと思います。
日本人はけっこう外国人に対してかまえちゃうんですよね。
わたしは普通にがんがん日本語で話します。だってここは日本だから。
ベトナム、ネパール、タイ、中国みんなに共通して言えることは、本人たちが日本にいながら日本人と交わろうとしないことです。
みんな自分の国の言葉を日本で話し、自分の国の友達とつるむ。
わたしは、何しに日本に来てるの?って言います。
うちのお店では外国語禁止にしています。
同じ国同士の人もお店にいる間は休憩中でも日本語しか話せません。
せっかく日本に来ているのだから、日本人の友達をつくって、日本語で話してほしい。そうすれば、もっと日本語も上手になる。
外国人ももっと自分たちから日本人に関わってほしいと思います。
“nacoさん”
はじめに、コメントから読み取れるのはnacoさんは外国人である留学生の味方であるということです。
nacoさんと日常的なやり取りをしている私の感覚からも、おそらく留学生たちはnacoさんのことを慕っていると思うし、人として好意を抱いていると確信しています。
しかし、丁寧に読んでいくと見えてくることがあります。
そもそも、「アルバイトが留学生」に集中しているのはなぜでしょう?
これはバシッと決まる答えはありません、ただ多くの職種でアルバイトをする留学生を目にしますよね。
コンビニのバイトなんかはほとんど留学生です。
まずは単純に日本人の学生が減っていること、留学生が増えていることが挙げられるでしょう。
そして、日本人の学生が単純労働を嫌うようになったからという意見もあります。
また、外国人のお客さんが来た時に留学生をバイトに雇うメリットがあります。大抵の留学生はそれなりに日本語を話せるので簡単な通訳として機能します。
しかし、日本では法律で留学生の労働時間は28時間と定められています。
また、日本でそのまま就職できる留学生は本当に一握りです。
それの最たる例が外国人技能実習制度と言えるかもしれません。
>>>現代日本の奴隷制度なの?外国人技能実習制度の何が問題か
外国人が日本人と交わろうとしないのはなぜでしょう?
これも非常に面白い指摘です。
ニワトリが先か、卵が先かみたいな議論になりそうですね。
ただ、nacoさんのコメントの中にもヒントがあるように思います。
「日本人はけっこう外国人に対してかまえちゃう」
みんながみんな、nacoさんのようにポカポカと話しかけてくれたら何語であっても問題ないと思います。
実際、私も海外で生活をしていたことがありますが英語でもフランス語でもスペイン語でもアラビア語でもない辞書すら存在しない言語で毎日ニコニコと話しかけられて、最初は何を言っているかこれっぽっちも分かりませんでしたが非常に毎日楽しく過ごすことができました。
これまで、多くの留学生や在住外国人と話をしていて何度も指摘されたことがあります。
それは、日本人はだいたい2パターンだというものです。
一つ目のパターンは、とにかく外国人を避ける人。
もう一つのパターンは、とにかく外国人が好きな人。
一つ目のパターンは指摘するまでもないと思いますが、二つ目のパターンはどうしてか分かりますか?
彼らがいうには、結局動物園の中のサルやペンギン、ライオンみたいなものの延長にガイコクジンがいると言うのです。
つまり、友達や人として接したいのではなく、「外国人である」ことに価値を見出して近づいてくる人たちが多いと言います。
正直、一回や二回ならまだしも、何度も同じようなガッカリを経験したら心の扉を閉ざして、仲間内でつるむのも仕方ないかなと個人的には思います。
日本にきたら「日本語で話さないといけない」のはなぜでしょう?
郷に入りては郷に従えってありますよね。
私もそれには大賛成です。
しかし、日本語以外の多言語対応ができなさすぎると言う事実から目を背けてはいけないでしょう。
そもそも、日本語は国際社会でそんなに認知されている言語ではありません。
例えば、フィリピンはタガログ語やワライワライ語などの自分たちの言語がありますが、仕事の時には英語で話をします。
その他にも多くの外国では複数言語を必要に応じて使い分けています。
また、海外にいるんだからその国の言葉を話そうよ!
と言う指摘はおそらくそのまま誰よりも日本人の脳天にブーメランとして突き刺さるはずです。
外国語と言った時にほとんどが「英語」しか話せませんし、その英語すらままならないのが私たちの現実です。
つまり、日本に旅行するときは「日本語が必要」と言う構造的な問題が出来上がってしまっています。
まとめ
やっぱり、言語の問題じゃないんですよね。
もちろん言語も問題なんですが。
ただ、構造的暴力を分かりやすくみせてくれたnacoさんのコメントから、解決のための方法も垣間見えるように思います。
以下、コメントの一部を抜粋したものです。
わたしは、何しに日本に来てるの?って言います。
せっかく日本に来ているのだから、日本人の友達をつくって、日本語で話してほしい。そうすれば、もっと日本語も上手になる。
外国人ももっと自分たちから日本人に関わってほしいと思います。
“nacoさん”
これですよね。
正直、これっていわゆるオセッカイですよ!
最近は減ってきたけど、もともと日本にいっぱいあったこのオセッカイが構造的暴力をブチ破る最終兵器だと思います。
なぜオセッカイが大切かというと構造的暴力は誰が責任を持つのかイマイチ分からないからです。
だから、大多数の人間はそれに対してアクションをしない。
だから、それを見逃さない一部のオセッカイをやける人こそが、構造的暴力を解消するきっかけになり得るのだと私は信じています。
nacoさん!
これからもぜひ日本語でグイグイ留学生たちに説教してやってください!
“コーダイ”
さて、最後にせっかくだからnacoさんのご紹介をさせてください。
何それ?って思うかもしれませんね。
ブロガーって、だいたい何かしら課題意識を持っていて、それの解決のために個人で結構な熱意を持って行動をしている人なんですよ。
そして、nacoさんの思いは何かというと、
小麦アレルギーのことをひとりでも多くの人に知ってもらって、小麦アレルギーの人が暮らしやすく笑っていられるようになるといいな(nacoさんのプロフィールページより抜粋)
ってことです。
大人になってから小麦アレルギーを発症したnacoさんはなんと小麦の聖地ともいうべきラーメン屋さんの店長という肩書きを持っているんです。
だからこそ語れる小麦アレルギーの大変さはきっと同じ悩みを抱えている人に響くし、全く小麦アレルギーなんて知らなかったよっていう人にも新しい気づきを与えてくれます。
グルテンフリー情報をお探しの方にもオススメなnacoさんのブログはこちらからどうぞ!