【頭ごなしの批判は何も生み出さない】バットマンから考えるより良い社会の作り方
智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
ーー夏目漱石、草枕
漱石先生が草枕を書いてすでに110年以上が過ぎた、しかし未だに人の世は住みにくい。むしろ昔以上に住みにくくなったのではないだろうか。
目次
住みにくい理由
ひとえに誰かに自己不満を解決してもらいたがっている評論家がこの世を住みにくくしていると思うのです。自分が当事者ではないのに、頭ごなしに感情的な批判をする評論家とか、個人の感情、個人の意見なのに、まるで全人類の代表かのような物言いをする人が特にね。
何か意見を発信する時には「個人の意見を誰かに頼まれたわけでもなく、自分の意思で発信している」ということをしっかり心に留めておくことだと私は考えています。逆に、意見を受け止める側としても「これは個人の見解なんだな」と思いながら、「なるほど」と思って聞く方がいいです。それって、テレビの映像や、新聞の記事に対して「これは、作り手がいて、何かの意図があって作成されている」と思ってみるのと同じですよね。
また、多くの場合、評論家が批判したがっているのは組織なのに、文句を言われるのはその窓口にあたる人です。もはや八つ当たりですよね。組織で働くからには窓口となる個人にはどうしようもない部分もたくさんあるのです。頭では理解していてもうんって言えないことだってごまんとあります。
そして、評論家が無秩序に騒ぎ立てれば騒ぎ立てるほどに、この世は住みにくくなっていくのです。
なぜって?評論家に対する説明のために、次々といらないルールや条例、法律が追加されていくからですよ。お菓子やおもちゃのパッケージをみてくださいよ。冗談みたいな警告や注意がいっぱい書いているでしょ。同じことが世の中の様々な場所で起こっているんです。
評論家という名の自警団
さながら、評論家たちはバットマンです。
バットマンの話をご存知でしょうか?荒廃した犯罪都市であるゴッサムシティで、バットマンがたくさんの凶悪犯たちと連日連夜バトルを繰り広げる物語です。
誰が頼んだのか?
そうです、誰も頼んでいないんです。(バットシグナルで呼ばれることもありますがね)
基本的に、自警団ってやつです。
誰も信用できないから、俺が悪を裁くんだ!この街の平和を取り戻すんだ!ってね。
つまり、自らを正義であると信じているのです。
バットマンは正義感の強い男です。そして、それは彼の暗い過去に起因しています。微塵の悪も許せず、絶対的な正義を貫こうとします。「DEATH NOTE」で描かれるキラ(八神月)なんかもこの点は共通するところがあります。
私は、これらの行動の裏側には「答え(理由)を求める心」が一つ絡んでいるのではないかと考えています。要するに、「こいつらが悪いんだ!」と言えば楽やし、手っ取り早いってことです。
一方的に、「こうしなさい」と正義をぶつけて、解決した気分になって去っていく。そして、しばらくはスッキリするものの、根本的に解決ができていないから、また同じような不満を胸に次の標的を見つけてまた立ち向かうのです。
「正義」と「悪(狂気)」は紙一重ですよ、本当に。
「書を捨てよ、町へ出よう」
なんていう評論集もあったが、評論を捨てて、行動しよう。
私は人間があまり好きではありませんが、人間に悪い奴はそうそういないと信じています。
世間を騒がせるような人だって私は「悪い奴」と思っていません。むしろ、原点は何も大きな悪さをしない人以上に素直で、真面目で愚直な人物なのではないかとさえ思っています。しかし、人は屈折し、歪曲し、間違いを犯し、犯罪を行ってしまう。
だから、「こうしなさい」という正義の押し付けによって、異質な他者を拒絶し、排除することはできても、何かを排除することでよりよい社会なんて実現できるとは到底思えないのです。そもそも誰かの「一元的な正義」である「こうしなさい」が正しいとも限りませんしね。
だから、課題を見つけたのなら解決のための行動をしよう。
批判をするなら、「批判的な」アクションをしよう。
まとめ
あなたの胸の内に正義の心が沸き起こった時は深呼吸をしよう。
言葉にして誰かにぶつけてしまうと、スッキリして終わってしまうかもしれない。
じっくりと、計画を練って、問題解決のための行動をしてみよう。
問題解決の方法は、きっと犯人探しをして、不平不満を言うといった単純な話ではないはずです。
批判的な行動、課題を解決するための効果的な行動の起こし方についてはまた後日時間がある時にでも改めてアップします。