全国の日本語教室ボランティアに伝えたいこと

 
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上の名前がコージ、下の名前がコーダイです。 兵庫県生まれ、福岡市在住。2児の父。 人の意識を変え、国際協力の必要のない持続可能な社会にすることが目標です。
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日本語教室から、講演の依頼をいただいたので、内容の概要について記録しておきます。

あまりワークを入れずに話を聞く活動を中心にしてほしいということでしたので配慮しました。

 

目次

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日本語教室とは

ブログを読まれている方の中には、そもそも日本語学校ってなんやねん。っていう人も多いと思いますので、ここで先に簡単な解説をしておきます。

日本に住む外国人が日本語を習得するための教室です。自治体や、地域の国際交流協会などが主導して開催している教室もありますが、任意団体や個人などが開催している教室も多い。

その多くが、市民ボランティアなどによる善意で行われているため、ほとんどが無料、もしくは教材費のみで運営されている。

日本語を母語としない子どものために学校の中に設定されている日本語習得のための教室についても「日本語教室」と呼ばれるが、今回はこちらは除外して考える。

また、よく混同されるのが日本語学校だが、こちらは専門の教員による教育機関であり、日本語教室とは目的や形態が異なる。

ざっくりいうと、「地域在住の日本語を母語としない人の日本語を話す練習のために、土地の人がボランティアで話し相手になりますよ」っていう全国的に見られる取り組みのことです。

で、今回の依頼主は地域の任意団体による日本語教室でした。

さて、本題に移りましょう。

 

「地域の日本語教室に期待するもの」

このタイトルをもらって講演をさせていただきました。

まず、タイトルについてですが「誰が」期待するものでしょうか?

さまざまな主語が考えられると思います。今回は利用者(在住外国人)の視点で見ていきましょう。

どうして、利用者は日本語教室に来ているのでしょうか?

需要があるから、きっとこの教室が開講されているんですよね?

さて、需要って何でしょう?どうして、日本語教室は全国にたくさんあるのでしょう?

 

そうですね、日本語が話せないんです。

だから、日本語を話しにくる?

そうかもしれませんね。他にも何か考えられますか?

 

文化、文化を知りたい。それもあるでしょうね。

他にもありますか?

 

あー、居場所。なるほど。居場所ですね。

居場所が欲しいから来ているのかもしれない。

さて、ここでちょっと視点を切り替えてみましょう。

 

相手の立場になってみよう

利用者側(外国人側)の気持ちを想像できますか?

私は、ミクロネシア連邦というところで2年間生活をしていました。

記事中では、ミクロネシアでの生活の話は長くなるので端折らせていただきますが、全体の話の流れに合わせた形で日本人として海外で生活をした経験から感じた、「言葉が通じないということ」「文化が違うということ」「受け入れてもらえた時の嬉しさ」についての話を挟ませていただきました。

 

どうやら、最初の仮説、在住外国人の心情として、

「日本語を話したい」「文化を知りたい」「居場所が欲しい(受け入れて欲しい)」

といったものがあるのは大きく間違えてなさそうですね。

 

きっと「なんか知らんけど住みにくいぞ!」みたいな思いがあるんやと思うんです。

あるいは、もうちょい砕いていうと、

「日本語を理解できるのが前提で社会が成り立っているし、例えばゴミ捨てや、ちょっとしたマナーみたいなんも含めた文化や風習も特殊でよくわからん、極めつけ「外国人」ってだけで色眼鏡で見られてるやんけ!」

 

みたいなモンモンとした気持ちがあるんちゃうかなっていうのがいろんな話をしている中で、伝わってきませんでしたか?少なくとも私は在住外国人の方からそのような意見をこれまでに多く耳にしてきました。

 

はっきり言って、日本は住みにくいです。さっき、ミクロネシアでの生活を例に挙げて実際に自分自身が感じた困難や嬉しかったことなどを話しましたが、正直ミクロネシアは住みやすかったです。もちろんしんどいこともたくさんありましたけどね。なぜ住みやすかったかというと島民が外から来る人に慣れていたからです。外から人が来るのが前提でいろんなものが出来上がっているんですね、その点、日本はどうですか?

「日本は住みにくい」

ちょっとそういう視点で自分たちの地域を見直してみて欲しいんです。すると「日本語教室に期待するもの」いや、「日本語教室ができること」が自ずと明らかになってくるんじゃないかと思うのです。

 

「日本語を教える」「日本語を話す場づくり」

これは必要です。必要だから参加者がくるんです。ぜひ続けていただきたいんです。

でも、何のために日本語を学ぶ必要があるのか。やっぱり、根本的な困り感がきっとあるんですよ。

日本語を教えるというのが外側からのサポートだったとしたら、内側からのサポートもできるはずです。そして、それができるのは身近で話を聞いている皆さんに期待されていることだと思います。

 

言葉「で」学ぼう

例えば、活動の中に取り入れてみてはどうでしょうか。(もしかすると、すでに取り入れられているのかもしれませんが)

日本語「を」学ぶから、日本語「で」学ぶ教室への転換期が来ているのかもしれません。

言語は学ぶものではない、ツールだ。ツールということは使うんだよ。

言語を使って何かを学びなさい。すると、自然に言語も身についているから。

これは、私の語学の先生が教えてくれた言葉です。

ぜひ、「自分たちが生活の中で困っていることを解決する」という活動を日本語教室でやってみるのはどうでしょうか?ポイントは「活動」というところです。生活の中で困っていることを「話す」のではなく、実際に解決に向かって動き出すということです。

具体的な例を挙げると、外国人にとって便利な看板作りをしてみたり、防災用の案内チラシを作成してみたり、実はたくさんのやらなければいけないけど、やれていないことが日本の地域には残されています。

 

相手のことを知っているだろうか?

日本語教室にありがちな落とし穴があります。

日本のことを伝えなきゃ、あれも教えてあげなきゃ、これも教えてあげなきゃ。

そうこうしているうちに、気付いたら聴き下手になってしまいます。

先生(教える側)と生徒(教えられる側)になってしまうと、上下関係ができてしまいますよね。

だから、一緒に行動してみましょう。すると今まで見えなかったものがたくさん見えてきますよ。

例えば看板作りをしながら、相手の文字を知るでしょう。

防災用のチラシを作成しながら、相手の文化を知るでしょう。

何よりも一緒に作業をする時、それはもう対等な関係が築けているはずです。

ところで、教室に来ている人たちの国の言葉で挨拶は言えますか?

ぜひ、相手の国の言葉で毎回挨拶をしてあげてください。

私は、ミクロネシアにいた時に何度も「こんにちは」と声かけしてもらいました。

挨拶なんてたった一言ですよ。でも、その一言で「ああこの人は歩み寄ってくれるんだな、自分や自分の国に好意的な反応を示してくれるんだな」というのが伝わってきて嬉しかったものです。

 

2時間の講演なので文字数がえらいことになってきたので、この辺で。

この後の展開はざっくりまとめると、日本のことを教えるのと同じぐらい、日本に来ている外国人の文化や背景について知ってほしい。そして、誰よりも身近な友達であり、仲間である皆さんだからこそ、彼らの本音をしっかりと聞きとってもらい、地域や社会に発信をしてほしい。

といった具合でまとめました。

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